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十字軍時代の衣食住

鎖かたびらの流行

十字軍時代の兵士の多くは鎖かたびらを着ている。それは、鎖かたびらの持つ柔軟性と優れた防御性が好まれたためだ。鎖かたびらは紀元前2世紀頃からヨーロッパや中東で着用され始めたが、当初は非常に高価なものだった。やがて中世になり、専門職人の登場によって入手しやすくなると、十字軍やイスラム勢の兵士の間で広まっていったのだ。なおこの頃の日本では、大鎧という装飾性の高い具足が用いられている。

一方、市民の服装は暑さをしのぐのに適したワンピース型のローブやスモックが主流で、この地に移り住んだヨーロッパ人も彼らに倣った。また、イスラム教徒の男性はターバン、女性はサリーで髪や顔を隠しているのが一般的であった。

中東の豊かな食材

11〜13世紀の中東では、比較的豊かな食生活が営まれている。中東料理の代表格であるシシケバブ、ピタパン、豆のペーストなどは、この頃からすでに一般家庭で食されていたのだ。ちなみにこの時代、日本の庶民は魚介類や穀類を主食としていた。

都市ごとに名産品もあり、港町アッカではタイやイカなどの魚介類、ダマスカスではバナナやメロンなどの果物、エルサレムではオリーブや蜂蜜が有名であった。これらはキャラバン(隊商)によって交易され、東南アジアにまで普及していたという。

十字軍遠征をきっかけに中東の食の多彩さを知ったヨーロッパ人は、東方貿易の旨みに目をつける。そして、12世紀頃から十字軍国家などにより、中東の香辛料や食材がヨーロッパへ大量に輸出されるようになった。

ヨーロッパの築城技術

7世紀にイスラム文化が開花すると、中東の建築技術は飛躍的に向上。そして12世紀の頃には、石造りの城塞や宮殿が築かれている。当時のヨーロッパでは木や日干しレンガで造られた城が主流で、日本ではまだ築城の概念がなく天然の要害を利用した砦がほとんどだった。

イスラム建築は美しい幾何学模様とドーム状の屋根に代表される壮麗さが特徴。しかし美しさだけでなく、宮殿の周りに2重の城壁を築くなど、防御面でも優れたものであった。これを目の当たりにした十字軍はイスラム建築を取り入れ、「クラク・デ・シュバリエ」など十字軍時代を代表する堅固な城を築き上げたのだ。やがてその築城技術はヨーロッパにもたらされ、中世における築城の基盤となったのである。

桜門

外敵からもっとも攻撃を受けやすい楼門には、鉄の落とし格子が設置されている。

円形の隅塔

隅塔は以前まで正方形であったが、死角をできるだけ無くすため円形に改良された。

城壁

イスラム建築に倣い二重構造になっている。壁には光を取り入れるための小窓がある。

トンネルを掘って地下から侵入する敵への対処として、城壁の周囲には堀が設けられた。

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